酒田市の100年企業として建設という分野で地域を支え続ける林建設工業株式会社。
「地域社会に安心と快適を届ける」という理念のもと、この地域の人々と時代のライフステージに寄り添ってきました。
学校、橋、道路、病院、公共施設、港をつくりそうした日常の景色が一変してしまう災害時の復興にも地域の建設業に携わる人々の力を欠かすことはできません。
いろは蔵パークも一つの商業施設ではなく地域に住む人たちが入り、親しみ、育てることでまちの一つの景色になっていきます。
“まちをつくる”その想いを携えて取り組んだ「いろは蔵パークをつくるまで」のエピソードを、林建設工業株式会社代表取締役社長林浩一郎さんにお聞きしました。
――今回のいろは蔵パークの事業に携わることになった経緯をお聞かせください。
商業の跡地の再利用は、市が公募する前から建設業者の間でも何とかしないといけないよねという話はしていました。特に私は商業高校のOBなものですから、あのまま何もせずにおくのはもったいないと。そうこうしているうちに「いろは蔵パーク」の構想を聞きまして、地元の資本だけで地元の人たちのためのものをつくりたいと。それはまったくもって賛同できるものでしたから、私は建設業の方の取りまとめをしたということですね。
――「地元の人の手で地域のためのものを」という考えに賛同されたのは、そう思われる理由があったからですか。
酒田の中心市街地のシャッター街の再生を例にとっても、地元でさまざまな方が取り組んでこられましたが、その“点”の動きを“線”や“面”にするには大きな一つの核となるものが必要だとは思っていました。
――核となるものを作るにはそれなりの規模も必要で、すると資金面が課題になりますよね。資金力では建設業に頼るところが大きいのかなと。
事業規模が大きいものだと、我々建設業界が資金協力しないと難しいところはあるかもしれませんよね。地方に生きて、地方を守るのが建設業者だという気持ちもありますし。
――いろは蔵パークの計画を先導していた㈱丸高の高橋剛会長や仮設機材工業㈱の西村修さんは先輩にあたる世代ですが、今回のいろは蔵然り、お二人のまちづくりに対する構想や動きをどう見ていましたか。
お二人とも勢いがすごいですよね。構想も大きいですし。大きすぎて周りの人がポカーンとしちゃうこともあるんですけどね(笑)。プロレス技に例えると、パイルドライバーを決めると見せかけてポーンと投げ飛ばすみたいな感じ。わかりますかね、ポカーンとするでしょ(笑)。技を決めようと高く掲げた構想はすばらしいものですから、そこから技に持っていくために介添えするのが今回の私の役割というか。お二人の考えについて、違うと思えば違う、いいと思えばどんどんやりましょうと言えるのが、私ができることだと思っています。お二人がなぜあれだけいろいろな事業を考えられるのか、やれるのか。理由の一つは、立ち止まらないことなんですよね。とにかく動いてどんどん仕掛けていく。先に行けるその力。そうできることじゃないですよ。立ち止まらず突き進んで、ぽろっ、ぽろっ、と落としていくクギを後ろから拾って打っていくのが私(笑)。今回の事業を進めるにあたっては、二転三転、紆余曲折ありましたが、そのたびに「みんなで地域のためにやる」という原点から外れてはいけないということはみんな肝に銘じていました。
――構想力と推進力のあるお二人の裏方的な役割を買って出られたわけですね。来春の完成が待ち遠しいところですが、この施設が地域にどんな効果をもたらすと期待されますか。
現実的な話でいうと、施設が一つできたからといって何かが大きく変わるとは思っていません。ただ、地元の多くの企業が賛同して、オール民間で一つの事業を成し遂げたことはじつは過去1度もないんです。今回それを実現したことを一つの呼び水に、何かしら今後につながればいいなと思います。酒田にこれだけの規模の施設ができるのは本当に久しぶりで、大きな経験値といえるでしょうしね。
――点と点が線と面になった好例ですね。けっして酒田だけではない、庄内全体の一つの機運になればと思います。
そうですね、庄内は一つであってほしいですよね。2市3町、お互いのいいところを認めて、足りないところ至らないところは助け合い補い合って一つになれば、もっと大きいことができますよ。そういう意味では、地域が一つになったというモデルケースにいろは蔵パークがあって、この形が庄内一円に広がっていくのは理想です。
――庄内を象徴する建物、施設になるといいなと思います。貴社の創始者の林市五郎氏が建てられた「光丘文庫」は多くの人に親しまれて、庄内でも後世に残る建築物になりました。
これは私の憶測ですが、未来に遺していこうという前に、どこにも負けないのをつくってやろうという考えだったんじゃないかなと思いますね。歴代の代表はそれぞれ考え方も性格も異なりますが、お客様の期待を裏切らないという気持ちは一つ共通しています。
――いろは蔵パークに対して社長が期待するのはどんなことですか。
学生さんたちが試験的に開ける店舗を置けるといいですね。個人的にはト一屋さんのコロッケをその場で揚げてもらって食べたいです。ワインに浸けたから揚げもうまいですよね(編集部注:国産鶏ももから揚げ ワイン風味)あれもその場で揚げたてが食べられるといいなと。学生さんや観光で来られた方も手軽に手で持って食べられますしね。酒田にそういうところがないんですよ。でもやっぱりト一屋のコロッケ、酒田市民はあれで育ってますから、もっと大々的に売り出すべきだとずっと言ってるんですけどね(笑)。
――同感です(笑)。ト一屋さんのコロッケのように変わらずにあってほしいものってありますよね。やや強引ですが、それを「まち」に置きかえて、なくならないもの、なくなってほしくないものはありますか。
人が住んでいる限りなくならないもの、それはやっぱり衣食住ですよね。そういう意味ではいろは蔵も、我々建設業者も、どんなに人がいなくなってもゼロにはならないと思っています。ただパイが小さくなるわけですから、売り上げが立たなくれば大手資本ほど離れていく。撤退ですね。一方で我々地元企業は、撤退ではなく、倒産なんです。撤退という2文字はないんです、地域には。だから我々はどんなに人が減ろうと、どんな状況下になろうと、地域とともに生きていかなければならない。それなら今日よりも明日、明日よりも明後日、少しでもいい、住みやすい地域をつくる、考えるということが地域の企業に求められていることだと思っています。
林建設工業株式会社
代表取締役社長 林浩一郎さん