いろは蔵パーク㈱代表の高橋剛さんからのリレーインタビューとして、同パーク整備事業の役員でもある仮設機材工業㈱の西村修さんにお話を伺いました。
建設関連資材の総合商社としてのフィールドを超えまちづくりの活動をはじめ中心市街地や山居倉庫エリアを中心とした開発事業に取り組み、現在は酒田観光物産協会の会長も務める西村さん。
いろは蔵パークが目指す“地域の人による地域のための”場所とはどのような意味を持つのか、酒田の移り変わりを見つめてきた視点から語っていただきました。
―西村さんからはまちづくりの活動やエリアマネジメントの点でお話をお聞きしたいと思います。まずは、いろは蔵パークの事業に乗り出した理由をお聞かせください。
弊社は建設関連資材の商社ですが、近年は開発型事業にも積極的に取り組んでいます。これは交流人口の拡大を図るもので、観光・宿泊・定住人口アップのための開発、不動産事業などです。この事業を会社の柱に据えて展開するなかで、いろは蔵パークの事業構想を酒田市から聞いたとき、当社でも何らかの関わりをしたい、しなければならないと強く思いました。
―酒田柳小路屋台村「北前横丁」(2015年~)や、港の「SAKATANTO」(2022年~)、移住者向け住宅「TOCHiTO(トチト)」(2023年~)なども開発型事業の一環とのことですが、ものすごいスピードで事業を展開されていますよね。
人口減少が待ったなしで、歯止めがきかない状態ですからね。酒田市の人口は令和4年に1400人、令和5年に1,600人ほど減っていて、10数年来、1,000人規模で減り続けています(参考:酒田市の人口動態)。今後も同じように推移することが予測されていて、2040年には人口は7万人台になるだろうと。すると我々の事業でいえば建設総需要は約半分になるという予想です。今と同じことをやっていては15年ほど先には売上は半分になる。15年なんてあっという間ですから、弊社は急激にその対策を講じているわけです。
―すると西村さんのまちづくりの活動の根底にあるのは
率直に言うと会社と地域の生き残りです。事業展開の一つであって、まちづくりの理想論を並べる話ではないんですよね。毎年1000人規模で減っているというのは緊急事態、有事ですから。
―止まらない人口減少に打つ手があるとすれば、どんな方法が考えられますか。
人口減少は止められない、それなら外から人を連れてきましょうよと。ここからは概算ですが、定住人口が1人減ると年間の消費額が約100万円減るといわれています。1年に1,500人減ったとして、1,500人×100万円=年間15億円の地域の消費が減る。そこへ交流人口を1人増やした場合の旅行消費額は、日帰り観光が平均6,000円、宿泊客は平均14,000円。15億円にその旅行消費額を割り当てて、15億円÷(6,000円+14,000円)=75,000人をそれぞれ外から呼んでくればいいという計算になります。
―日帰りと宿泊のお客様で年間それぞれ75,000人というのは現実的な数字ですか?
今、SAKATANTOの年間利用者数は24万人ほどです。地元以外からのお客さんが半数だとして日帰りが12万人。年間75,000人ですからおよそ2年分の日帰り観光客目標をSAKATANTOでまかなっていることになります。この考え方で努力していけばいいんだと。企業や地域として、この先をどう生き残るか。それには地域外からの収入を増やすことのほかに、私が考える方策は「公民連携」事業の展開だと思っています。
―官民連携と違って、公民連携は民間が主体・主導して事業を進めていく手法ですね。
今は地元企業も行政もみんな大変で、人もいない、予算もない、だから助け合って、支え合って生き残っていかないといけない。TOCHiTOの場合は、市が所有する旧消防署跡地を無償で借り受け、当社が資金調達して建物を建てました。建築費は賃貸料収入でまかなって、市には固定資産税が入っていくと。SAKATANTOは「PFI」といわれる手法で、Private-Finance-Initiative、すなわち民間の経営能力と技術的な能力を生かして公共事業を行います。運営会社(グッドライフアイランド合同会社)は指定管理を受けて、県に建物の賃貸料を支払いつつ、建物の改修は県から資金を預かって運営会社が発注して実施します。PFI事業と指定管理事業の2つが合わさった、珍しい公民連携のかたちだと思います。今、酒田市でも未利用資産(土地や建物)を公表して、「市有財産の積極的な有効活用」を推進しています。これからはますます、公民連携という形で公と民が助け合い、支え合って生き残ってていくことが必要だと考えています。
―いろは蔵パークも公民連携の一つの形ですが、着工するまで工事費用や建設規模の縮小などが取り沙汰されましたね。
実際に大変でした。大手資本を相手に我々地元企業が手を挙げたわけですから。しかも、公募選定された矢先にロシアとウクライナの戦争が始まって、建設費が数カ月で1.5倍以上に膨れ上がったんです。でもあの施設はなんとしても成功させないといけない、地元一枚岩でやろうということでみんなで頑張った。もうダメだなという瞬間は何度かありましたが、今となればよくやったと思います。
―そのマインドがいろは蔵パークの“地域の人たちによる地域のための場所”の意味につながっていくと思いますが、西村さんはどんな場所にしたいと考えていますか。
いろは蔵と山居倉庫、TOCHiTOを中心に、人の流れや経済、商人のまち酒田の気概など、さまざまな波及効果が酒田じゅうに広がっていくことを期待しています。あの規模の施設ができれば多くの人を巻き込んでいけるだろうと、それを見据えた事業構想です。
―SAKATANTOも当初は市民も探り探りでしたが、今は地元民も多く利用するフードコートになりましたね。
SAKATANTOは最初、出店応募者がとても少なくてね。でも今はしっかり利益も出ているようで、その成功体験が他の方にも見えると「よーし俺も」という人が出てきてくれると思うんですよ。だから出店者には高級車にでも乗れと言ってるんですけど(笑)。
―この地域で食べていける、儲けることもできるという形が見えるのは大事ですよね。
私は目立つ事業をあえて選んでやっているわけで、目立つものっていうのはそれだけリスクも大きいんです。でも今おかげでこうして元気で動けるうちにどんどん動いて、他の人を感化させていきたいというか、ハッパをかけたいというか。触発されて頑張ってくれという次の世代への願いを込めてリスク満載なところに飛び込んでいってます。
―いろは蔵パークはまずは一つリスクを乗り越えたわけですが、完成した暁には、どんなまちの姿が見えていますか。
酒田駅、中心商店街、日和山、港、それから山居倉庫エリア、それぞれがつながって周遊できるのが理想ですが、まだまだ二次交通が弱いですからね。駅~いろは蔵・山居倉庫~中心商店街~日和山・港といった二次交通の整備が必要だと思っています。また、県内各地の観光施設と比較した時に、酒田の観光物産館は売上高の成長率も大いに伸びしろがあると確信しています。いろは蔵に移転する観光物産館はその受け皿になるべく場所でしょうし、山居倉庫が今後改修を経てそこにも観光物産館(山居倉庫店)が入れたらいいなと。加えて、個人的には道の駅をどこかにつくりたいんですよ。そうして交流人口をさらに生み出す魅力的な拠点を複数整備することで、酒田は観光地としてまちの表情も変わっていくと思っています。
仮設機材工業株式会社
代表取締役 西村修