昭和29年創業の若葉旅館。昔ながらの趣を残すくつろぎの宿として
観光からビジネス利用までお客さんの幅広いニーズを満たしています。
社長の矢野慶汰さんは、アウトバウンドの旅行会社に勤め150ヵ国以上の国を巡ったのちに、
若葉旅館の若女将と結婚し、移住を決めたという異色の経歴の持ち主。
いろは蔵パークへの期待、そして酒田のまちの展望についてお話しを聞きました。
Q.2025年春にいろは蔵パークがオープンします。
山居倉庫エリアに新たな商業施設ができることについてどう感じていますか。
いろは蔵パークは地元の人たちと観光などで酒田を訪れた人たちがつながる場所、接点として交わるような場所というイメージですね。当館からも近いですし、宿泊されるお客様もお散歩がてらのお買い物を楽しんでいただけると思います。魅力的なテナントがあり、また、さまざまな発信やイベントが行われることも期待していますので、私たちも一市民として楽しめるような、市民と観光客の双方にとって嬉しい施設になると思っています。
Q.2015年に東京から酒田へと移住された当時の印象はどうでしたか。
酒田駅から若葉旅館へ向かうためにタクシーに乗ったとき、運転手さんが「酒田には何もない」と言っていたことを覚えています。
のちに「いやいや、こんなに良いところ他にないのに」って思いましたね(笑)。当然、地元の方には日常のことですから、私のように外から来た人間のほうが、酒田の当たり前の魅力が新鮮に映り、積極的に発信できるのかもしれません。
それでも最近は、自信を持って地元のことを語れる方たちが増えている印象があり、嬉しく思っています。
いろは蔵パークが開業することで外から来る人もさらに増えると思いますので、来た人と地元の人たちとが出会うことによる化学反応も大いに期待しているところです。
Q.旅行、観光のプロとして酒田をどのように見ていますか。
観光面でのポテンシャルはものすごく高いです。そのポテンシャルに地元の人たちがどれだけ気づけるか、発信できるかというところだと思いますね。
山居倉庫や本間家旧邸、みなと市場といった主要な観光名所を徒歩や自転車で周遊できますし、地場の美味しいものが食べられるお店もたくさんあります。
周遊に関して言えば、例えばそれぞれのスポット同士を、すなわち点と点を線で結び、円になるようなストーリーを描くことが重要で、そういう意味では、いろは蔵パークがスポット同士を強くつなげる非常に重要な拠点になっていくのかなという感じがします。
Q.昨今は観光や旅行のニーズも変化していますね。
良くも悪くも宿泊業界全体が変化し、いわゆる昔ながらの旅館というのが非常に少なくなっています。
そんな状況のなかで、当館はみちのくの持つ風土や歴史、文化に関心のある旅行客の間でディスティネーション(目的地)になっていったのではないかと考えています。日本全体でインバウンド需要が急増し、奈良、京都、鎌倉といったメジャーな観光地ではすでにオーバーツーリズムの問題が起きていますよね。あわせて旅行客のニーズも多様化していますから、例えば外国人専用のJRパスを駆使して在来線で、少しゆったりと日本海やみちのくを巡りたい、日本海の港町を訪れてみたいなどといった地域性に特化したニーズに対して、酒田は間違いなく応えていける場所であると確信しています。
Q.いろは蔵パーク、そして今後の酒田の展望について「こうなると良いな」と思うところはありますか。
いろは蔵パークについては、何かしら、地域に根差した事業につながる要素が加わると良いですね。
観光客のみなさんが酒田に来て感じたことを拾い上げたり地元の人たちと交流したりしながら、イベントや事業など、かたちにしていけるようなコミュニティスペースを設けるとか。
私たちとしてもいろは蔵パークのオープンをただ歓迎するだけではなく、酒田の展望について一緒に考えていける責任感も同時に持っていきたいと思っています。
酒田の展望について、私としては調和のとれたまちの景観づくりを進めてほしいです。あるヨーロッパの旧市街を例に挙げると、オレンジ色の屋根瓦でさえも9つのグラデーションの決まりがあり、その中から選ばなければならない、というルールがあったりします。
すると街の統一感が生まれてくるわけですね。日本では景観ルールをそこまで定めている街は少なく、世界から見ればややもすると遅れている部分でもありますが、今後、酒田が積極的に取り組んでいけば、一気に先進地域になるわけです。
まちづくりの取り組みははじめに市民の意思ありきで、そこに行政が一緒にコミットしていくパターンが多く、欧米でもそういったケースをよく見ます。
「酒田をこんな街にしていきたい」、「こんな街に住みたい」と、私たちがどんどん声を上げていくことが大事ですね。