「いろはのイロハ」最新情報。
October 15, 2024
酒田で「蔵」と聞けば、地元民ならばほとんどの方が一番に思い浮かべるであろう「山居倉庫」、皆さんよくご存知かと思います。
この新井田川沿いに位置する土蔵造りの山居倉庫は、明治26年(1893年)に初め7棟が建てられ、翌年には5棟が増設、合計12棟として完成しました。運営については幹部全員が土族出身の旧庄内藩主酒井家により行われ、米の管理のために長きにわたり役立てられた有名な米蔵です。
もう1つ、酒田には江戸時代に庄内藩が創建した「新井田蔵」がありました。数十の米蔵が軒を連ね、戸前が48あるところから俗に「いろは四十八蔵」と呼ばれた倉庫群は、川向いにそびえる山居倉庫にも勝る偉容を誇っていたと言われています。維新後は本間家の所有となり使用されていましたが、山居倉庫が建てられた翌年の明治27(1894)年、庄内大地震の大火により焼失してしまいました。
その後は本間農場として農産物の開発、大正6(1917)年に本間家の寄進を受け、山形県立酒田商業高等学校の前身である酒田尋常高等小学校附設商業補修学校が新築移転されることとなり、以来約100年間...多くの学生で賑い、長きにわたって山居倉庫とともに商人の町「酒田」を象徴するシンボルとして新たな役割を果たしてきました。
時は流れ平成24(2012)年。校舎の老朽化や人口減少により市内4高校が統合、新設されることとなり山形県立酒田商業高校は閉校。100年以上の長きにわたり幾多の卒業生を送り出してきたケヤキの木のみを残し、惜しまれつつもその役割は終わりを迎えました。
令和3(2021)年、酒田市が「酒田商業高校跡地活用基本計画」を策定。山居倉庫が中心となって紡いできた酒田の歴史を感じながら未来へ繋いでいくためのまちづくり、「往古来今」を基本理念とした山居倉庫周辺エリアの価値向上、皆様の生活拠点と賑わい創出という新たな役割を担い、令和7(2025)年春、いろは蔵パークが誕生します。
日本海と鳥海山の自然に恵まれた肥沃な大地。庄内平野で育った良質なお米。かつては農産業の重要拠点であった「いろは蔵」の地は、その昔に「酒田三十六人衆」が発展させ、「北前船」が紡いできた地元経済を牽引する学生を送り出す場として、多くの市民から愛されてきました。
我々がここに作るいろは蔵パークは、この地が酒田の歴史に名を刻んでいること、この地に込められたストーリーを、市民の皆様によって未来に語り伝えられる場として存在していきたいと考えています。